プロのヒーラーとして活動を始めてから、10年が経ちました。
これまで、「自分の人生を変えたい」という切実な思いからヒーリングを受けに来られる、本当に多くの方々と出会ってきました。
その中で、私がずっと気になっていることがあります。
それは、自分を癒やすために始めたはずのヒーリングが、いつの間にか自分を責め、苦しめるものになってしまうという現実です。
「現実が変わらないのは、自分のヒーリングが足りないから?」
これまで出会ってきた方の中には、ヒーリングを深く学び、熱心に実践しているにもかかわらず、なかなか望む現実が訪れないことに深く悩んでいる人たちがいました。
そして、こう考えるようになっていくのです。
「現実が変わらないのは、自分のヒーリングが足りないからかもしれない」
「私のやり方や技術が、間違っているんじゃないか」
そうして、さらにヒーリングを重ね、必死に技術を磨こうとする。
それでも思うように現実が変わらなければ、「自分が間違っている」「やっぱり私がダメなんだ」と、ますます自分を責めてしまう……。
このような悪循環の中で、ヒーリングの実践そのものに縛られ、身動きが取れなくなってしまうケースを何度も見てきました。
本来、人生をより良くするために始めたはずのヒーリングが、かえって自分を追い詰める刃になってしまう。
こうした姿を見ていると、癒しを「望む現実を手に入れるためのツール」として捉えることの危うさを感じずにはいられません。
癒しが「取引」になってしまうとき
現代のスピリチュアルの世界では、「心の傷を十分に癒し、ブロックを取り除けば、望む現実を創り出せる」という考え方が広く浸透しています。
- 「ヒーリングを受ければ人生が変わる」
- 「このテクニックを学べば、理想のパートナーと出会える」
このような考え方のもとでは、癒しは「望む成果を得るための手段」となり、そこにはどこか条件付きの「取引」のような関係が生まれてしまいます。
ビジネスとしてのヒーリングセッションや講座も、「望む現実を叶えるための方法」として提供されることが少なくありません。その結果、癒しの価値そのものが「どれだけ望む現実を手に入れられたか」という成果だけで測られるようになってしまうのです。
もちろん、「何かを実現したい」「今の苦しさから抜け出したい」という願いからヒーリングを始めるのは、ごく自然なことです。
ですが、「望む現実を実現すること」が癒しの目的になりすぎてしまうと、「現実が変わっていない=自分の中にまだ癒やされていない欠陥がある証拠」になってしまいます。
理想に到達していなければ、まだ何かが足りない。まだ癒やさなければならない傷がある。
こうして癒しは、終わりのない「自己改善のレース」へと変わってしまうのです。
癒しのなかで繰り返される「自己否定」
ここでとても興味深いのは、その癒しへの取り組み方自体が、「それまで自分を苦しめてきた思考パターン」の再現になってしまっている点です。
例えば、「何かを達成しなければ自分には価値がない」という思い込みに苦しみ、自分を受け入れたくてヒーリングを始めた人がいるとします。
ところが今度は、
- 「十分に癒やされた自分にならなければならない」
- 「理想の人生を実現できる自分にならなければならない」
と、ヒーリングを通じて新たなハードルを自分に課してしまうのです。
そして、その条件を満たせない自分を、再び責め始める。
結局のところ、「成果を出せなければ自分を認められない」という昔からの思考パターンを、ヒーリングの中でもそのまま繰り返しているのです。
しかもタチが悪いことに、その自己否定を解消するために、さらにヒーリングを重ねようとしてしまう。これでは、いつまで経っても「今の自分のままでいい」と思える日はやってきません。
ヒーラー自身が陥るプレッシャー
この問題は、癒しを提供するヒーラー側にも同じように存在します。
「ヒーラー自身がどれだけ理想の人生を実現しているか」によって、その人の能力や価値が判断されるような、暗黙のプレッシャーがあるからです。
自分の人生が思うようにいっていないと、「私のヒーリングは間違っているのではないか」「自分には力がないのではないか」と不安になる。
自分を受け入れるために始めたはずの癒しによって、かえって「より良い自分にならなければ価値がない」という考えに強く縛られてしまうのです。
癒しの価値は、何によって決まるのか?
こうしたことを考えると、そもそも「癒しの価値」とは何なのだろう、という問いに行き着きます。
例えば、これまでずっと嫌いだった自分の一部を、少しずつ受け入れられるようになったとします。
けれど、望んでいた仕事での成功はまだ叶っていないし、経済的な状況も変わっていない。
その場合、その癒しには価値がなかったと言えるでしょうか?
私は、そんなことはないと思います。
自分を嫌い続けてきた人が、以前よりも自分に優しくなれるようになること。
自分を苦しめてきた思い込みに、あまり振り回されなくなること。
たとえ外側の現実に大きな変化が起きていなかったとしても、それはその人の人生にとって、間違いなく大きな意味を持つ変化です。
「自分自身との関係が変わること」には、それ自体にかけがえのない価値があります。
しかし、癒しの価値を外側の成果(現実の変化)だけで測ってしまうと、そうした素晴らしい内面の変化にすら、価値を認められなくなってしまいます。
「もっと大きな結果を出さなきゃ意味がない」
「人生が変わっていないなら、まだ癒しが足りない」
そうやって、再び自分の中に「足りないもの」を探し始めてしまう。私は、癒しがそのような方向に進んでしまうことに違和感を覚えるのです。
何かを手に入れるためではない「癒し」を
私たちは普段の生活の中でも、「何かを達成しなければならない」「もっと良い自分にならなければならない」と、常に自分を追い立てがちです。
そうした生き方に疲れ、そこから自由になりたくて癒しを求める人も多いはずです。
だとしたら、癒しの実践の中でまで、同じように自分を追い詰める必要はないのではないでしょうか。
ヒーリングを通じて望む人生を目指すこと自体は、素晴らしいことです。
けれども、「望む現実を実現できたかどうか」だけで、癒しの価値を決める必要はありません。
癒しは、何かを手に入れるための「手段」である以前に、それ自体に深い価値があるものです。
そしてもしかしたら、癒しとは理想の人生を叶えて自分の価値を証明することではなく、「何かを実現しなければ自分には価値がない」という思い込みから自由になっていくことなのかもしれません。
望む現実にまだ到達していない自分を、それでも「これでいいんだ」と否定せずに抱きしめられるようになること。
それこそが、癒しの大切な一側面なのだと信じています。