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カネコケンタロウ
ヒーリングサロン メルキーズ主宰
東京在住の男性ヒーラー。幼少期から精神世界に関心を持ち、10代からエネルギーワークを実践。2014年からスピリチュアルヒーリングの研鑽を積み、2016年に独立してヒーリングサロン メルキーズを設立。癒しを求めるお客様にヒーリングのセッション・ワークショップをご提供している。近年では、トルコ人向けのワークショップを開催するなど、海外向けの活動も積極的に行う。

情報の洪水の中で、自分の頭で考えるということ

スピリチュアルをよく勉強していて、「こうすれば人生が良くなる」という知識はたくさん知っている。それなのに、実際には自分の人生の舵を握れていない。そういう方を、これまでたくさん見てきました。

知識が足りないのではなく、むしろ知識が多すぎる。情報を取り入れることに一生懸命になるあまり、自分の頭で考える時間がなくなってしまっている。

今日は、そんな「情報の洪水」の中で自分自身の軸をどう保つか、ということについて書いてみたいと思います。

目次

知識が増えるほど、「考える」が減っていく

知識が多すぎるというのは、食べているのに消化していない状態に似ています。次から次へと新しい料理が並ぶバイキングの前で、お腹はとっくにいっぱいなのに、まだ手が伸びている。そんな感覚です。

新しい概念を知った瞬間、少し賢くなった気がする。宇宙の法則、エネルギーの話、魂の仕組み。知的好奇心が満たされるあの快感は、私自身よくわかります。ヒーラーとしてこの領域にずっと身を置いてきましたし、その素晴らしさも十分に感じています。

けれど、知識を吸収すればするほど、「自分で考える」ということが少しずつ減ってしまうケースがあります。学んでいるという充実感が、いつの間にか誰かの正解をなぞっているだけの状態にすり替わっている。そのことに、本人が気づいていないのです。

これは情報が悪いという話ではありません。新しい視点を与えてくれる素晴らしい知恵は、確かにたくさんあります。

ただ、あまりに多すぎると、私たちは無意識のうちに判断を外側の誰かに委ねてしまいます。「あの人がこう言っているから、これが正解なんだろう」と。自分の内側で咀嚼して、実体験として落とし込む時間がないまま、知識だけが肥大化していく。

肝心の、自分の感覚に従って自分の人生を誠実に選んでいく力。それがかえって弱まっていくのです。

こういう構造に、誰もがはまりやすい時代なのだと思います。

情報過多だけでは済まない、もうひとつの問題

情報が多すぎて判断が難しくなる。それだけなら、まだ対処のしようがあるかもしれません。

けれど、スピリチュアル業界には、もうひとつ厄介な問題が重なっています。情報の洪水に加えて、不安をあおる言説が広がっているということです。

その典型的な例のひとつに、2025年頃からよく語られるようになった「世界線が分割する」という話があります。

これまでは皆がひとつの世界線を共有していたけれど、これからは1人1人が自分の世界線を歩むようになる。この考え方自体は、おそらく正しいと私も思います。

問題は、この概念に「上下」や「優劣」が上乗せされるケースが少なくないことです。

「この波に乗れないと、下の世界線に取り残される」「今ここでエネルギーに乗れなければ、もう取り返しがつかない」。こうして世界線の分割という話が、いつの間にか階層構造の恐怖に変わっている。乗り遅れた者は下に落ちる、という物語にすり替わっているのです。

これは心理学で言うところのFOMO(Fear of Missing Out)、つまり「取り残されることへの恐怖」を刺激する語り方です。

繰り返されてきた「乗り遅れるな」の構造

そしてこの構造は、世界線の話に限った問題ではありません。

振り返ってみれば、スピリチュアル業界では同じパターンが何度も繰り返されてきました。古くは聖書の黙示録に端を発する終末思想。2012年のマヤ暦に基づくアセンションの波。毎年夏になると話題になるライオンズゲート。そして今、世界線の分割。

表現や時代背景は変わっても、そこにはいつも同じようなメッセージが付きまといがちです。「今この波に乗らなければ、取り残される」。そこには常に、期限の切迫感と、乗り遅れた者が下に落ちるという階層的な恐怖がセットになっています。

そして、この「乗り遅れるな」のレトリックは、カルト的な団体が人を囲い込む際にも繰り返し使われてきた手法でもあります。恐怖で人の判断力を揺さぶり、「ここにいなければ危険だ」と思わせる。そうやって外の世界との接点を狭めていく。

恐怖というのは、生存本能をダイレクトに揺さぶるものです。だから人を動かすには恐ろしいほど効率がいい。悪用すれば、人心を掌握することすらできてしまいます。

人の心の深いところに触れるスピリチュアルという領域で、自覚的であれ無自覚的であれ、恐怖を刺激する言説が広がっていること。その危うさは、もっと語られてよいのかもしれません。

恐怖に流されないために必要なこと

もちろん、こういう語り方をする発信者側の問題は大きいと思います。

けれど同時に、少し耳が痛い話かもしれませんが、聞く側にも問われていることがあります。

心が不安で揺れているとき、私たちはどうしても「確実そうな答え」に飛びつきやすくなります。「これさえあれば人生が好転する」と言われたら、ふっと寄りかかりたくなる瞬間は誰にでもあるものです。それは善悪の問題ではなく、安心したい、楽になりたいという純粋な願いの表れだと思います。

ただ、その「安心したい」が強くなりすぎると、自分の判断力を丸ごと誰かに預けてしまう、ということが起こり得ます。

置いていかれるかもしれない、と不安になったとき。そのときこそ、1度スマホを置いてみてほしいのです。PCを閉じて、立ち止まってみてほしい。

その恐怖は、本当に自分の内側から湧いてきたものなのか。それとも、外側から植え付けられたものなのか。

この問いを自分に向けるだけで、見え方は変わってくるように思います。

ここで言う「考える」というのは、何もかもを疑えということではありません。目の前の情報に触れたとき、それが今の自分の感覚と合っているかどうかを確かめるということです。

それを信じることで、自分はより自由になっているのか。それとも、より束縛されていっているのか。自分の中で、なんだかずれている感じがしないか。

こうやって1度自分の中で咀嚼していくプロセスこそが、情報の洪水と恐怖の言説が重なり合うこの時代を、自分の足で歩いていくための力になるのだと思います。

依存は「悪」ではないが……

ここまで読んで、「つまり依存するなという話か」と感じた方もいるかもしれません。

けれど、誰かに導いてほしい、正解を示してほしいという気持ちは、大なり小なり誰の中にもあるものです。私の中にも、もちろんあります。すごい実績のある誰かを見たら、自分の判断を委ねたくなる瞬間は、正直に言えばあります。

でも、そのたびに思い出すようにしています。自分の人生の主導権は自分にあるということ。1つ1つ、自分で選んでいくしかないのだということを。

見極めの基準は、おそらくシンプルです。

何かのサービスや情報や発信に触れた後、自分がどうなっているか。「よし、自分の足で歩いていこう」と思えるなら、それは良い循環が生まれています。けれど、関わるほどに自分では何も考えられなくなっていく、何も決められなくなっていく、自分の力が失われていくように感じるのだとしたら。それは関わり方を見直すサインなのかもしれません。

発信する側として、思うこと

ここまで書いてきて、私自身のことにも触れておきたいと思います。

私はスピリチュアルヒーラーとして、長い間メルマガで霊的な情報を発信してきました。少しでも読者の方の役に立てばという思いで続けてきたことです。

けれど、この記事で書いたようなことを考えていく中で、ひとつの問いが浮かんできました。私の発信が、読者の方から「自分で考える力」を奪う側に回ってしまっていたことはなかったか、と。

情報を届けることが、いつの間にか「この人の言うことを聞いていればいい」という依存の構造を生んでしまう可能性がある。発信者として、そこに無自覚でいてはいけないのではないか、と。

これは正直、耳に痛い自問です。

でも、だからこそ考えたいのです。私がヒーラーとしてやりたいのは、誰かを自分に依存させることではなく、その人自身の力を伸ばしていくことです。読者の方が自分の感覚を信じて、自分の足で歩いていけるようになること。その背中をそっと押せるような存在でありたいと思います。

だからこそ、これからの発信のあり方を、私自身もう1度見つめ直していきたいと思っています。

おわりに

情報のシャワーを1度止めることは、不安かもしれません。

けれどその静寂の中にこそ、探しているものがあるのだとしたら。量を追いかけることを、少しだけ休んでみてもいいのかもしれません。

そしてその静けさの中で、あなた自身の声に耳を傾けてみてほしいと思います。

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